りつなるるの雑記

ボイメンナゴヤドーム応援チャレンジとして、当時ボイメンに出逢って1年ちょっとの大人が、期間限定で"ボイメンが好き"をただ書き散らかしていたブログです。今後は気まぐれ更新予定。

けんちゃん24歳ですね

なんやかんや想い出語りが続いてますが、今日はもちろん、これを叫びたい。


けんちゃんお誕生日おめでとう!


けんちゃんと言えば、私はCandorが浮かびます。Youtubeにアップされてる動画で観た、

瞳を閉じてほら浮かんでくるそれはどんな人ですか

そう歌うけんちゃんの声がとても澄んでいて惹かれたのだけど、その瞳がキラキラしていて、なんてキレイでまっすぐな瞳をした子だろう、と思ったんだよね。
子どもの瞳って透き通ってキレイですよね。この子の世界が愛で満たされますように、美しいものを見て、優しさに包まれて、まっすぐに育ちますように。その子を愛する周りの大人たちから、しあわせを願い護られている無垢さ。けんちゃんの瞳にも、なんだかそんなものを感じたんです。

ひとりっ子のわがままだのマザコンだのとネタにされることもありますが、けんちゃんに関しては、だから何だ、それがどうした、と言いたい(笑)
だってそれがけんちゃんの魅力を生み出す原点のひとつでもあると思うから。

私は、リリイベや他の無料イベントのミニライブなどではなくちゃんとチケットを買って行ったボイメンのライブって、2017年12月の東京での誠のライブが初だったのですが、ギリギリまで行こうかどうしようか迷ってたんですよ。(そのへんのことはまた書きます)
そんなときに毎日毎日更新されるブログでけんちゃんが「ねぇー!来るのー?来ないのー?どっちなのー?」みたいな書き方をしてて、なんか、かわいくなってしまって(笑)
で、それだけが理由ではありませんが、でも確かにそれも理由のひとつで、ライブ2日前か3日前にチケットを取りました。

だからねぇ、けんちゃんは、私にとってはかわいいの対象なのです。息子というよりむしろ孫!みたいなかわいさ。(いや年齢的にはおかしいんだけどね、感覚的なものね)

高校時代あまり友だちがいなかった、というせいもあるのか、高校時代からボイメンとして活動してきたからなのか、ボイメンの中に彼の青春があって、ずっとそのいちばんの末っ子でいたんだろうなぁ、と、たまにボイボイのゲームやってる様子とかを観て思うことがあります。単純なゲームなのにすっごい楽しそうだったりするから観ててこっちが笑顔になっちゃう。
アゴでギネス記録(非公認)のときも楽しそうだったよねー。それを見守るお兄ちゃんたちの目も好きです。

でも、ゆとりのふたりでいるときのけんちゃんは、ボイメンの末っ子してるけんちゃんと、なんとなくちょっと違う気がするんだよね。わからないけど、まーちゃんにけんちゃんが必要なのかな、と思ったり。

人付き合いが決して上手ではない…というか、あまり慣れていないところも、それゆえ発する言葉がときどき切れ味鋭いところも、けんちゃんだなぁ、と思って見てしまいます。
私は特にけんちゃん推しという訳ではないけれど、けんちゃんに甘いと思う(笑)
これ、たぶん同世代だったら持てない目線かも。

それにしても、けんちゃんあんなに無邪気というか無垢というか、本当に24歳なんだろうか。

24歳って何してたかな、って思い出そうとするまでもなく、私、24歳の誕生日の頃っていちばん大切なものだけを手に、闇から這い上がろうと必死にもがいてる最中だったんだよなぁ(笑)←いまだから笑えるけど当時はホントに、ちょっと生命の危機だった。リアルで。ガチで。(まぁ、私みたいなのはレアケースだと思うけど)24歳なんて、ただ無邪気じゃいられないよね。

でも、けんちゃんの無邪気は何も知らない子どもの無邪気とは違って、やりたいことやほしいものに対して素直に手を伸ばせる強さ、だとも思う。
写真が好き、だから自分の撮った写真で写真集を出したい。歌が好き、ダンスが好き、だからソロでも歌いたい、ステージに立ちたい。
ホント、Candor(率直、正直)だよね。

あと、意外に私、けんちゃんの演技が好きです。人狼のときにそう思った。ドラマとか映画とかにもまた出てほしいな。にこにこしてない役がいい。


けんちゃんの24歳が、充実した1年になりますように。
健やかで、しあわせでありますように。
あの瞳が曇ることのないように。

そして出来れば、今日はたくさんの祝福の中で、けんちゃんが心から笑えていたらいいな。