8人で無限大
あの夏、10人の帆上げMVに声を上げて号泣した日からもう4年。
いつの間にかずいぶん遠くまで来ていたんだなぁと思う。
私にとって帆上げは個人的な思い入れのある特別な曲のひとつで。
配信で観ていた先週のボイともフェスのライブ、まさるくんのMCに
(あ…帆上げやるんだ…もう今ここで8人て宣言しちゃうんだ…)
と思って歌い出し前から泣いた。
つっちー脱退のお知らせから2日。早過ぎる。
メンバーは前を向いているから心配するなと言いたいのかもしれない、でもファンに前を向けと言うにはあまりに早過ぎる。
嫌だ!って想いと、頑張れ!って想いと、なんだかもう、ぐちゃぐちゃ複雑で。
それでも彼らが宣言するなら聞かなくちゃ、と、泣きながら画面を観ていた。
「8人!」と言われた時には思わず「あぁぁ…」と声が漏れてしまったけど、彼らの気迫から目が離せなかった。
心配するな、前を向け、じゃない。誰もつらくないはずがない。
「無理はしてない」と笑う彼らも、確かにそこでは無理をしていた訳ではないかもしれないけれど、必死だった。そう見えた。
私が好きになったのは10人のボイメンだった。
その事実は変わらない。
だから今でもあの夏にあの船に乗っていたのは10人だったな、と思うことはある。
でも9人になり、8人になった今のボイメンに10人と言い続けて欲しいとは、今の私は思わない。
私の中でもやっぱりボイメンは9人になり8人になった。
歌詞やセリフは変えなくてもいいじゃん、と思う人もいるだろうけど、8人でも10人と言い続けることを求める方が残酷だと私は思う。
ただ、私はそう思うってだけで考えることは人それぞれだから他の誰かの意見を否定する意図はないよ。
とは言え私も勿論その都度すんなり受け容れて簡単に前を向いた訳じゃない。
これからも時々は振り返るだろうし、折に触れてはうじうじするだろう。
見たかった景色がもう見られないことに寂しくなることもきっとある。
まだ泣くこともあるかもしれない。
けれど彼らが
「俺たちは8人で無限大!」
と宣言するのは私がその宣言を受け容れるよりはるかにしんどいことだったろうということは想像に難くない。
それを思えば、彼らの宣言を受け取るだけの私には何も言えない。
「自分の人生を生きたい」とそれぞれのタイミングで船を下りることを選んだ(選ばざるを得なかった、なのかもしれないけど)ふたりもそれぞれの覚悟で出ていくと決めたんだろうし、その選択を認めて送り出した8人もその都度覚悟を決めたはずだ。
船に乗り続けるのも下りるのも、そのどちらにも覚悟が要るし、痛みを伴わない決断なんてない。
グループなんて、仲良しこよしだけで10年もやってなんかいられない。
だって彼らは友達じゃない。同じグループで険しい世界を進む一蓮托生の運命共同体でもあるし、同時にいちばんのライバル同士とも言えるだろう。
ファンには分からないことも色々あるだろう。
そもそも好きで一緒になった訳じゃないし、合う合わないだってあったと思う。
嫌な話だけどグループ内の格差だって今も確かにある。
それでも彼らが簡単にその手を離したとは思えない。
誰かがグループを離れるということは自らの手足をもがれる程の苦痛に違いない。
それを飲み込んでも進むって言ってる、そこに覚悟がないはずがない。
いなかったことにはしないで欲しいと思うけど、残ったメンバーが辞めていった元メンバーの名前を出すことと出さないこと、どちらがいいのか私には分からない。
彼らが生きる世界のルールもあるだろう。
名前を出すことが救いになることもあれば重荷になることもあるかもしれないよね。
離れていったふたりにはふたりの「これから」がある。
それぞれ状況も環境も掲げた「これから」も違うから、同じ対応をして欲しいとも思わない。
ふたりにはふたりそれぞれの思う道を歩んで行って欲しい。
(実際ひとりは既にそうやって先に進んでいるように思うし、彼自身からはグループに関する発言は脱退以降一切されていないのでは、と思う。すべての情報を追い掛けて見ている訳ではないから私が知らないだけかもしれないけど。)
その道に幸多からんことを祈っている。
そしていつか彼らが皆晴れやかな笑顔で再会する未来があったらいいなと思う。
私は勝手に、夢を叶えようとがむしゃらに進む彼らの生き様から勇気をもらっている。
その姿は、時に前進と言うより迷走しているようにしか見えないことも、それ故もどかしいことも多々あるけれど、それでもそのがむしゃらさ、熱さ、仲間への想い、ひとつひとつの努力に勇気をもらっている。
けれどそれは、あくまでも「勝手に」。
彼らの人生は彼らのもので、彼らの夢は彼らのものだ。
応援はする。したいから。
でも、彼らの夢が叶うことを自分の夢にしてその肩に乗せたり、私の思い描く彼らの理想形を重ねて期待を押し付けたりすることは、私はしたくないと思っている。
彼らが、その夢を叶えようと燃やしている炎を見させてもらえているだけ。それを見させてもらいながらファンとして少しだけ並走しているだけだ。
マラソンや駅伝の沿道で声援を送っている観客と似たようなものだ、という比喩表現を見かけたことがあるが、本当にその通りだと思う。
テレビのこちら側で応援していたいの。
出来れば時々は直接会いに行けたらいいな、とは思うけど。
応援はチカラになる。それは本当。
だけど、どんなに応援しても私は当事者ではない。
その喜怒哀楽のカケラを分かち合うことは出来るけれど、そして彼らはファンとの距離が近いから誤解してしまいそうになるけれど、明らかに、立っているステージは違うのだ。
私はそう思う。
…と、ここまで書いておいて今更なんだけど、あくまでもこれは私が今の時点で思うことだし、それは私の勝手な思い込みだし、ここはそもそも私の個人的な書き散らしの場だし、
誰かの意見を否定しようとするものでも誰かを傷付けようとするものでもないです。ましてや誰かを救おうとするものでもない。そんな大それたことは考えてないです。
私の考えも変わることはあるかもしれない。
結局のところ辞めたのが推しじゃないから言えるんだと言われてしまえばきっとそうなんだろうとも思う。
薄情だよね。ごめんね。
残念なことに、そもそも現場参戦もさほど多くない私はつっちーの特典会等に行ったこともなくて、個人的に伝えられる思い出がない。
グループの中にいる彼からゆったりした受容性のようなものを感じてはいたし、あの歌声は好きだったけれど。
あ、いちど渋谷マルイでのミニライブでハイタッチしたことがあったなー。回ってきてくれて、ちゃんとひとりひとりにゆっくり優しくハイタッチしてくれてたのが印象的だった。
優しい人だったんだろうと思う。とても優しくて、自分の深いところにある本当の思いよりも仲間の意見や気持ちが当たり前に優先されてたんだろうなって。
そうしているうちに自分でも分からなくなってしまったのかもしれないな、って。
今更だけど。想像に過ぎないけど。
彼が自分の色を取り戻せていたらいいな。
今はまだ、今の現実を受け容れていくことに精一杯だけど、私はたとえば今後もし推しが違う夢を描いてその選択をする日が来たとしても、感謝とともに、彼の夢よ叶えと願いたい。幸せであれと祈りたい。
まぁ、泣くだろうけどね。そうでありたい。
彼らの人生は彼らのものだ。彼らの夢は彼らのものだ。ほんの少しの奇跡の重なりで世界が重なった今だから、その刹那の輝きを応援したいの。そう思ってるのは本当だし、その考えはたぶん変わらない。
だって私の人生は私のもので、誰かの夢を叶えるためのものではないと思うから。それなのに他の誰かに夢を肩代わりさせるなんて出来ないし、したくない。
夢なんて言うと笑う人もいるけど。
あの夏、10人の帆上げMVに声を上げて号泣した日からもう4年。
ずいぶん遠くまで来たけれど、相変わらず「東西南北どっちに行ってもあっちもこっちも水平線」な日々を過ごしている。
私も。たぶん、彼らも。
彼ら、今はニューチャレンジャーでも「東西南北 無限の旅!」って歌ってるしね。
てゆーかホントに彼ら東西南北行きがちよね。ヤマダン(東西南北 WE GO!)も、進化理論(南から北 古今東西)も、だもん。
なんだろう、作詞家さん方、彼らを東西南北あちこち走り回らせたいのかしらね。
私は走り回らせたいよ。今は何かと難しい状況だけど、自由に走り回れる世界に早くなって欲しいね。
いま、彼らの船は8人で無限大。
ずっと変わらないものなんてないから、この先もまた、その形を変える時が来るかもしれない。私の、彼らへの気持ちが変わることもあるかもしれない。
それでも今は、覚悟を持って帆を上げて進む彼らを応援していたいと思う。好きだから。
追伸。
ボイメンの決まらない王子としての最後のブログが決まりすぎていてめちゃくちゃかっこよかったね。戻って来て欲しいと思っていたし戻って来てくれると信じて待っていたけど、あのブログを読んで、あぁ、最後にこれが書けたんだね、良かったね、と思いました。
つっちー、ありがとう。あなたがあなたらしく、健やかで、幸せで、恐れから自由でありますように。
あれから
ここからまるっと1年経ちました。
えぇ、あのナゴドからです。
いろんなことがあった1年でした。
ざっくりまとめると、
泣いて笑ったナゴドのあと、ようやくファンクラブに入り(あ、更新しなきゃ)、
R35をきっかけに推しが定まり←と言うよりやっと認め(笑)、
はじめて推しとツーショを撮り、推しにサインをもらい、
入手したベアたち(公式ベアも非公式のちびベアたちも)にオリジナルの学ランを作って着せて写真を撮るようになり、
東京と名古屋で参戦したZeppツアーで誠の魅力に改めてどハマりし、
Twitterを介して現場で直接逢うようになったお友だちが急激に増え、フォロワーさんも驚くほど増え、
なぜか某企業の公式さんまで巻き込み(笑)、
ホルツでは静岡ボイファミの輪を広げ、控室の確保やはじめましてさんたちを含めた大人数での打ち上げなんてことまでやり、
文化祭のミスコンには一喜一憂し、
年明け早々から名古屋に行き「最前列へ」で号泣して推しに笑われ、
など、いろいろありすぎて書ききれないし全然まとまってない、そんな1年(笑)
結局、ナゴドのときよりずっとずっとボイメンを好きになっている今の自分がいます。
あのとき、ボイメンが大好きだ、って思って毎日ここにナゴドチャレンジブログを書いていたのに、今、もっとずっと大好きになっています。
人生何が起こるかなんて本当に分からないものですね(笑)
ボイメンは、私が出逢って好きになったときのボイメンと、その姿が変わりました。
10人から9人へ。
このことは、ブログに書きたくて、でも書けなくて、下書きを何度もしては何度も消しました。
俊くん推しでない私が何をどう書いても違う気がして。誰かを傷付けてしまいそうで。
でも、今日は少し書かせてもらいますね。
「俊くんは休んでいる」というかたちを取っている間にいつしか見慣れた9人のボイメン。
「俊くんは脱退した」という現実を飲み込んだ9人のボイメン。
同じ9人のボイメンだけど、違う。
本人のブログで発表されて、公式に発表されて、メンバーそれぞれからのブログが更新されて、それはそれは泣いたけど、
私はたぶん、待ってる間に、戻ってきて欲しいと願いつつどこかで(もう無理なんだろうな)って思ってしまってたから、あとはその決断をいつ・誰がするかだけなんだろうと思ってしまってたから、あぁ、誰かに決められてしまったのではなく本人が決断出来たんだな、って、それが分かって、むしろそれだけは良かったね、と思った。本人のためにも、みんなのためにも。
本当に戻りたかったから、余計に戻れなくなってしまったんだね。
それでも、自分のための決断が出来て良かったと思うし、決断したのなら、これからを生きて欲しいと切に願います。
いつか、俊くんが笑ってボイメンのみんなと会えるようになって欲しい。笑って、一緒に撮った写真をみんながツイートしたりブログに載せたり出来るようになったらいいなと思う。「ひさしぶりに一緒にメシに行ったよ」とか「次の作品で共演!」とか「テレビ局で偶然会ったぜ」とか、そんな感じで。
きっと難しいであろうことは分かってます。でも、10人のボイメンを好きになった私は、何年かかってもその時を待ちたい。形は変わっても一緒に笑える日が来るのを待ちたい。
そしていつか「あの田中俊介が、あのボイメンにいたんだ!」って言われるような人たちになって欲しいね。
もちろん、10人のボイメンと出逢って好きになったので、可能ならば10人のボイメンを応援し続けたかったです。私はね。
でも、それが叶わないからと言って、ボイメンが魅力的なことは変わらないし、好きな気持ちは変わらない。
私はやっぱりボイメンが好きで、むしろ先に書いたように、9人のボイメンに対して好きが増しています。
更に最近はボイメンがみんなかわいくて仕方ないんだけど!
彼らはめちゃくちゃ男臭くて泥臭い雑草魂が売りで、確かにそこにハマったはずなんだけど、なんだろう、今はかわいくてかわいくて(笑)
かわいいの前で人は無力!
かわいいには全面降伏!!
えぇ、好きが増しています(笑)
2019年のボイメンは、きっとメンバーはめちゃくちゃ動いた!って思ってると思うし、実際ホントによく動いてたと思います。マコライもホルツもあったしね。文化祭もあったしね。ドラマや映画もあったしね。私は行けなかったけどいくつかのフェスにも出ていたしね。
けれどなぜか、前進するスピードが、どこか緩やかに感じられることがありました。どんどん大きくなってるけど、前進が緩やか、と言うか。伝わる?
(それは俊くんを待っているからなのでは?10人のボイメンを9人で守ってるからなのでは?)と勝手に都合よく捉えようとしたりもしてたのですが、…まぁ、勝手な解釈ですよね。本当のところは分かりません。
いまは、ここからの彼らが楽しみです。
実際、ガッタンゴットンGO!がチャートを賑わせてくれるという明るいニュースから2020年がスタート出来てますしね。今年は期待しちゃうよ。
(ビルボードのランキングは凄かったよねー!)
ボイメンを好きになって、ボイメンが好きで繋がるたくさんの人たちに出逢って、
私はボイメンも好きだけど、繋がってくれているボイファミさんたちも本当に大好きです。
ありがたいことに人には恵まれるの、私は。
ここにナゴドチャレンジブログを書いていた頃は、このブログをきっかけに繋がる方が増えました。それもとてもありがたかった。
ブログを更新しなくなって、最近は何をきっかけにしてくださってるのか分からないけど、今もぼちぼちとしょーもないことをつぶやいている私にフォロワーさんが増えていて、
現場で友だちの友だちとか紹介で繋がる方も増えていて、
現場ごとに新しく会いたいと声を掛けてきてくれる方もいて、
なんだか面白いなぁと思っています。
Twitterを始めた頃は知り合いなんか誰もいなくて、Twitterのこともボイメンのこともオタクの世界のことも何もわからなかったし、フォロワーさんが三桁とかのアカウントはなんかすごい人!って思ってたけど、なんのことは無い、自分がそうなってみたら私は変わらず普通の人でした(笑)
いまはたいていどこの現場に行っても(まぁそもそもそんなに参戦率高くないですが)必ず誰かしらに逢えてるので、ご縁に感謝だし、いつもとても楽しいです。
夫にも「妻さんはいつも楽しそうだね」と言われてます。
おかげさまで!と答えてます(笑)
ナゴドから1年。
長くて、いろいろあって、でも、あっという間だった気がします。
ナゴド楽しかった!と思ったのに、その後どのステージを見てもどのイベントに行っても毎回楽しかった!!をランクアップさせて更新してきたからすごい。どんどん好きにさせられてすごい。
翻って、自分は?
「目で見ることの出来る結果を出した時はじめてそれを努力と呼ぶ」とか
「同じ季節に戻ってこの1年がかけがえないものだったと言えるように」とか
彼らの歌うPOWER OF DREAMの歌詞に、時々気持ちを急かされるのは、私はまだなにも出来てないからで。
「諦めてたまるかよ!」ってイギリスまで行ってきた想いや行動を、ここから形にしていこう、私に出来ることをやっていこう、与えられたものは表現していこう、と改めて決心しました。
イギリス行きに限らず、実は私にとってこの1年はそれなりになかなかしんどいことが多かったのよ(苦笑)
諸々継続中で、まだ笑えない・書けないことも多いんだけどね、私もがんばる。
つらつら書いてたらまた長くなってしまいました。
とにかく、今日でナゴドから1年。
今日も今日とて、ボイメンが好きです。
またここから、もっともっと楽しんでいこうね、よろしくね、と思ってます。
方向音痴でも迷わなかった静岡市民文化会館への道
私はそこそこ本気の方向音痴です。
静岡県民ですが、静岡市に行くことは年に数回あるかないか、県東部在住の田舎者です。
そんな私が、先日用事があって静岡市に行きまして、駅から静岡市民文化会館まで歩いて行ってみたので、ホルツ静岡に遠征でおいでのボイファミさんに
「方向音痴でも迷わないで行けた静岡市民文化会館への道」
をお伝えしようと思ってこれを書いていますよ。
(なんつーか、まぁ、ただのお節介なんだけどね)
しかもね、ナビするならちゃんと現地の写真を撮ってくればよかったんだけど、思いついたのが遅かったので分かりやすい写真はほぼないですごめんなさい。
でも絶対あなたを迷わせないで静岡市民文化会館まで連れて行ってみせる!
大丈夫!だって簡単だから!(笑)
※あくまで、方向音痴の私が行って迷わなかった道の紹介です。Googleマップなどでは別の道もナビされます。地元の方はもっと別の行き方をするのかな?とも思う。知らんけど。
どの道を選ぶのかはあなた次第!
まずね、どこから遠征されるにしても、着くのは「静岡駅」ですよね。間違いなく「静岡駅」で降りてください。乗り過ごし注意。
そしたら、改札を出て「北口」に向かいます。
新幹線の改札は駅の南口に近い方なので逆サイドになるよ。ちょっと遠いけど静岡駅は名古屋駅ほど大きくはないよ。
北口では、外に出ずに地下に下ります。
外に出ずに地下です。
(現地に行けば意味は分かるはず)
そのまま地下道を進みます。
向かうは「駿府城公園」方面。
松坂屋の入口があなたを待ち受けるかもしれない。
それでも向かうのは「駿府城公園」の方です。
駿府城公園に向かう出口は結構狭い階段で(たしかHの出口だったと思います。自信はない。違ったらごめん)その階段を上って地上に出たら、出たそのままの方向に進みます。
ちなみに地上に出たらすぐ右手に松屋とか宝くじ売り場とかがあったと思う。
しばらくまっすぐ行くと、「江川町」の交差点に出ます。
ここは写真撮った!こんな感じ。
右手にデイリーヤマザキがあります。
え?また地下?と思うでしょ?地下には行かないよ。もう階段は嫌だ。
ここでデイリーヤマザキと地下道入り口の間を右に曲がります。すると目の前に信号があって、信号の向こうには「新静岡セノバ」があります。
この右手の建物が新静岡セノバ。
ここでセノバを右手にそのまま通り過ぎ、まっすぐ商店街を進んで行きます。
すごくない?何気なく撮った商店街の写真、右上に映り込んだ看板が「タムタム」(笑)
この商店街をずーっと進んだ先に静岡市民文化会館があります。
ちなみに文化会館の入り口のとこにはちゃんと
案内表示がありますので、見落とすことはまずないかと。
文化会館は商店街を歩いて、向かって左側にあります。入り口のところ(上の写真のところ)にも横断歩道はありますが、商店街を進んでいる間に良きところの横断歩道で反対側の歩道に渡っておけば、より安心です。
敷地内、どこから入ればいいの?って思ったけど、それはたぶん私が行った日が大道芸ワールドカップの期間中だったせいもあるし、ホルツ当日はグッズ販売とその待機列がどこになるかにもよると思うからなー。
まぁ、ここまできたら建物が見えてますんで大丈夫かと。
てことで、迷いようがないんですねー。
だって曲がるの「江川町」の交差点のとこだけだし。そこも分かりやすいところだし。
この私が迷わずに着いたくらいだし。
ちなみに地図に示すとこんな感じよ。
ラインが手書きでヘロヘロだけど(笑)
駅の北口から、私がボチボチタラタラ歩いて20分かからないくらいでした。
Googleマップだと別の道が表示されて、それぞれやっぱり17分とか20分とか22分とか。
距離にして1キロちょっと、ってとこでしょうか。
微妙に遠いけど歩けなくはない。(都会の人はこれくらい普通に歩くよね。でも田舎者は車で行きたくなる距離なんだよね。私は普段なら1キロ超えたら確実に車で行く距離だと思ってるよ。日常的に運動不足だよ。)
あ、ただ、荷物があるとどうだろう。
階段は大変だよね。
バスとかタクシーとかの方がもちろん楽だと思います。そのへんはご自身でご確認ください。
http://www.scch.shizuoka-city.or.jp/
↑静岡市民文化会館のサイトです。アクセスも載ってます。
あとね、静岡市民文化会館のすぐ近くには、いわゆるファミレスとかスタバやタリーズのようなカフェとかがないです。たぶん。
コンビニはあるっぽい。(Googleマップ情報)
グッズ購入してから昼公演までの時間に何か食べようと思ったら…昼公演と夜公演の間の時間に何か食べようと思ったら…どうするのが正解か、私にはわかりません。
セノバとか静岡駅の方まで戻ってごはん食べる時間があればいいけど…
私は遠征の楽しみに食が欠かせない人なので「せっかくだから静岡っぽいもの食べたい」とか「静岡といえばさわやか!」とか思う気持ちはとてもよく分かりますが、…どうだろうねぇ。
(幸運を祈ります。)
いよいよホルツ静岡が近付いてきたね。
私にとって今回のホルツは「静岡の昼公演が幕開けで夜公演がオーラス」です(笑)
テレしず祭りが台風で中止になっちゃったから、待ちに待ったひさしぶりのボイメン!
ボイファミさんたちも、会いたい人がたくさんで、会いたいみんなに会いきれるか分からないけど、でも、みんな会いたい!
この日にはじめましてのご挨拶ができるかな?って方も、お友だち同士で紹介したい方も多いので、本当に楽しみです。まだ約束してない方も、良かったらどうぞ気軽に声をかけてくださいね。
諦めなかった先で
ひとつ前の記事で「諦めてたまるかよ」って「行ってきます!」って書いておきながら、その先を書いてなかったので、遅くなりましたがご報告を。
無事、イギリスに行ってきました。
なんとか辿り着き、研修受けて、資格登録されて帰ってきました。
研修そのものについてはここで語るアレでもないのでアレですが(アレってなんだよ)、
あんなふうに行くまでのバタバタを書いたから、そのあとのバタバタも書いとこうかな、と。
えぇ、まだバタバタしたんです。
良かったらお付き合いください。
あのブログを書いて、Twitterで少し友だちとやり取りして、いつの間にか寝落ちしてた9月9日の夜明け前。
ホテルの部屋で、なにか違和感を感じて目が覚めたら、なんとホテルが揺れていました。
信じられる?ホテルが暴風雨で揺れてるの!
部屋は停電してました。非常灯のようなものが付いてたけど、しばらくするとそれも消え。
薄暗い外をよくよく見れば、吹き付ける暴風雨に転がる折れた木の枝。
怖えぇぇぇ…台風マジで直撃じゃん…
これはとにかく空港に行っとこう。行っとけばその場で対応できる。
しばらく待って、少し明るくなってきた中で最低限の身支度を整え、ホテルを出ました。
当然停電してるからエレベーターは使えないので大きいスーツケース抱えて暗い階段を下りたよ。
1階のロビーは水浸しだったよ。
でも、ホテルのシャトルバスがあったからとにかく成田空港までは問題なく辿り着けました。
あの日の成田空港は陸の孤島でしたから。
空港への公共の交通機関はすべてストップしていたようですね。高速も使えなかったとか。
ホントに、成田に前泊しといて良かった。
とりあえず成田空港で、ひとり、いつ始まるかも分からないチェックインを待つこと3時間。
そこから今度はいつ始まるかも分からない搭乗を待つこと4時間。
元々のフライト予定時刻から4時間半ほどの遅れで、私は日本を発ちました。
まず最初の行先はヘルシンキ。ベリベリ元気なサンタさんの国、フィンランド。快適な空の旅。ありがとうJAL!感謝しかないです。
ちなみに、ボイメンのくま(県体くま)と、自作の衣装を着せたちびくまを持って行ったので、機内でやたらその写真を撮ってたらCAさんに「いつも一緒に旅行されてるんですか?」とか聞かれてしまいました(笑)
えぇ、少なくともどちらかはだいたい一緒に旅してます(笑)
さて、予定よりそれだけ離陸が遅れたってことは、当然ヘルシンキでの乗り継ぎ予定にも間に合わないってことで。
でもまぁ、乗り継ぎの振り替えはちゃんとやってくれるって言ってたから安心だね。
そう思ってヘルシンキに着いた私に告げられたのは「あなたの振替便は9月10日の朝8時のヘルシンキ発ヒースロー行きです」というご案内。
その時点で、現地時間は9月9日の夜8時を少し回ったところ。
おぅ…フライトまで12時間…
さすがにそこからホテルを取ったりはなかなかハードルが高いので、ここは悩まず即決。空港に泊まることにします。
ここをキャンプ地とする。
もうね、楽しくなっちゃいますよね。なんか振り切って楽しくなっちゃった。
それにね、ヘルシンキ空港、全然余裕で泊まれるよ!
というのも、まず空港のフリーWiFiがホントにフリーで強くて便利です。ネット環境は安心。
そしてトイレが広くて綺麗だった。これも大事なポイント。顔洗ったり歯を磨いたりできたし。
さらにベンチがいっぱいある。座って寝れるし、ベンチに寝転んでる人も多いです。そのへんの床に寝転んでる人もいたけど。
あと、たぶん24時間営業のスーパーみたいなところがあるから食べたり飲んだりに困らない。
結局、早朝5時くらいまで私は結構しっかり寝てました(笑)
それからチェックインして、空港内のカフェで朝食とったり、いくつかのお店で買い物したりして、空港内を大満喫。
会話も、微妙な英語と、なんなら日本語と、笑顔と度胸でどうにかなった!(笑)
なんか、いろいろと強くなれた気がします(笑)
いやぁ、それにしてもヘルシンキ空港いいわ。おすすめする。
機会があったらぜひ行ってみてください。日本から9時間半くらいかな?
綺麗だし、すごい、素敵だった。
いや無茶苦茶言ってるな(笑)
フィンランドおすすめされてもねぇ。
で、そこからは何の問題もなく、3時間の空の旅で目的地・イギリスはヒースローに到着!
集合時間まで余裕があったので、空港内のカフェでサンドイッチとアイスラテ買ってゆっくりしてたら、目の前にイケメンさんが座ってニコッとしてくれたりして、それはもう沸いたよね(笑)
そのあと集合時間に集合場所で何人かの仲間と合流出来て、会ってみたらみんなもそれぞれいろんなトラブルを乗り越えてそこに集まって来てて。
なんと言うか、ホントに私たち頑張ったよね、と、研修が始まる前にみんな達成感でいっぱいだったりして。
考えてみたら、私が日本を発ってからヒースローに着くまで26時間。
成田空港で待ってた7時間を入れると33時間。
前泊のために自宅を出てからは、なんと52時間かかっての到着でした。
イギリスが遠かったー。
それにしても、なにがあっても行けるものなら行ける、って信じてたとは言え、
こんなにネタが豊富じゃなくてもいいんですよ?もっと平和に行かせてくれても良かったんですよ?って思いますけどね。
まぁ、ここまでしたからこそ身に付く・実になるものもあるのですが。そして、それが必要だからこその経験なのですが。
そんなこんなで、行く前からのイギリス珍道中は、長々書きましたが、これにておしまい。
お読みいただきありがとうございました!
諦めてたまるかよ
おひさしぶりです。
ナゴドチャレンジブログとして、ナゴドが終わってそのままにしてましたが、ちょっと今日は書きたいことがあってひさしぶりにこのブログを開きました。
あまりボイメンと関係ない話なのですが。
いま、成田のホテルにいます。
明日からイギリスに行ってきます。
お仕事の関係で受ける研修なのですが、これを受けるまでに本当に紆余曲折あって…
実は何年も前から準備していて、受講申請への承認も下りて、開催を待っていた研修でした。
この数年でシステムが変わり、開催予定が延期になり、未定になり、それでも諦めずに待ち続け、ようやく2019年6月に開催が決まった、と情報が入ったのが2018年の終わり頃だったかなー。
再度、受講申請を送り、参加確定の返信を待ちました。この研修には受講申請への審査があるのです。
ところが、そろそろフライトの手配もしないとまずいのでは?確定連絡はまだ?と焦りだした4月のある日、急にリスケの連絡が入ります。
諸事情あって開催は9月になる、と。
(そこで即マコライ東京のチケットを取ってZeppに行き本ちゃんに「イギリス行くはずがリスケになってここに来た!」と言ったら「誠がイギリス飛ばしたか!」と爆笑された、という経緯があります)
その後、日程も確定し、受講許可の連絡も入り、諸々の手続きを済ませ、友人と同じフライトも予約。
ふぅ、やれやれ、と思っていました。なんだか現実味はないけど行くんだな、と。
(だってクレジットカードも決済されてるし)
渡英までおよそ二週間に迫った土曜日の朝、同じフライトを予約していた友人からのLINEで目が覚めます。
「ストライキで欠航らしい」
まじか。
航空会社の公式サイトには振り替え便を用意する、と書かれてはいるけれど、振替便は翌日以降になる場合もあるみたいだし、そうなると研修に間に合わないのは困る。困るなんてもんじゃない。
「またはキャンセルで全額返金します」とも書かれているから、そしたら新たに取り直し?!とりあえずチケット探しとく?!
驚くほど高額なチケットか、驚くほど長い時間のかかる乗り継ぎ便か、選択肢は多くはないけれどもうとにかく行ける手段を確保出来るよう検索しながら過ごした土日の2日間。
チケットを手配したサイトのカスタマーサービスが平日のみの対応だったので、あとはとにかく待つことしか出来ず。
月曜日の朝イチで問い合わせようと思って、日曜のド深夜(むしろもう月曜の明け方)、寝る前にもう何度も見た航空会社の公式サイトから自分のフライト予約をチェックします。
すると、そこには既に見慣れた「あなたのフライトはキャンセルされました」的な絶望的な赤文字と、見慣れない便の詳細。
ん?なにこれ。
よくよく確認すると、それは振り替えられたフライトの一覧でした。
直行便から乗り継ぎ便へ。
だけど航空会社は私が本来希望していた会社になってる。うーん、これは災い転じて福となす、ですか?
これを信じていいのだろうか…とも思いつつ、結局なんだかんだやりとりがあって、フライトが確定したのが火曜の昼過ぎのことでした。
(この火曜はR30だったので、もうね、不安も消えて心置きなく大騒ぎでしたのよ!)
一緒のフライトで飛ぶはずだった友人とは振替便が分かれてしまったのですが、お互い行けるだけ良かったよね!じゃあ向こうで会おうね!と。
そして、振替便が午前中の成田発になってしまったので、自宅から始発で向かっても間に合わない私は成田にホテルを取り、前泊することにして、準備をしていました。
ところが、今度は台風です。
こんなにピンポイントで直撃だなんて。
でももうここまで来たら、あとは目の前に来たものに対応していくだけなので、心配はしていません。
飛ぶ時には飛ぶ。なるようにしかならない。
根拠の無い自信って言うか、本当になにかわからないけれど、もっと大きなものへの信頼です。なるようにしかならない。行くべきものなら必ず行ける。
訳のわからないことを言ってるように見えるかもしれませんが(笑)
そんなこんなで、行く前から珍道中な今回のイギリス、何度も何度も(行けないのかな?)(諦めなきゃダメなのかな?)という考えが頭をよぎる度に励ましてくれたのはボイメンの曲たちでした。
そもそも数年前に最初に受講申請した時と今とでは私を取り巻く環境や状況が変わっていて、本当ならこのタイミングで行けるはずのない問題も抱えています。
それでも、私は私を諦められなかった。
いくつかの夢を諦めてきたけれど、これはもう譲りたくなかった。
誠の「アッパレ!夢パレード」でも歌ってるでしょ?「諦めてたまるかよ」なんです。
もうねー、何度聞いたか!車でひとりカラオケ状態で歌いながら、泣きそうになりながら(むしろ泣きながら)。
実は私、海外に行くのは20年ぶり!学歴や肩書きに申し訳ないほどに、英語も義務教育レベルすら怪しい。
ひとりで向かうことに不安がないって言ったらウソになるけど、その不安もまるごと味わって、経験を私の価値にしていきたいと思います。
(でも、良かったら無事を祈っててくださいー!)
*****
今後、たまにはこのブログも更新したいと思います。Twitterに書ききれないこととか、ボイメン関係ないことも書くかもだけど。
エンドポイント
名古屋2泊3日の最後に、エンドポイントカフェに行ってきました。
エンドポイント。終点。
このブログは、ここで一旦おしまいです。
ありがとうございました。
しばらくはこのまま残します。
またしれっと書くこともあるかもしれませんし、ブログごと消しちゃうかもしれません。
このブログに☆を付けてくださった方もたくさんいて、直接「いつも読んでるよ」って声を掛けてくださった方もいて、このブログをきっかけにTwitterで繋がってくださった方もいて、
ノリと勢いとテンションだけで始めて続けたブログでしたが、いまは、やってよかったと思ってます。
ここで書き散らかしながら、私ホントにボイメン好きなんだなぁ、と思うこともあったし、こんなこと書いていいのかなぁ?と思うこともありました。私の表現でイヤな思いをする方のないようにと心掛けていたつもりですが、感じ方は人それぞれなので何か不愉快なことがあったら本当にすみません。
ナゴヤドームでの、あの時間のことは、私はきっと忘れられないと思います。
ボイメンと出逢えてよかった。好きになってよかった。ナゴヤドームに挑戦することが決まりました!ってまさるくんが叫んだ去年の県体からここまで見て来れてよかった。
でも、たぶん、きっとまだまだこれからです。
今日が来ました
2019年1月14日。
こんなに指折り数えた日っていままでになかった。
いまはグッズ購入のために並びながら、これを書いています。
思ってたより寒くなくてよかった。
覚悟してたより列が長くなくてよかった。
でも、私たちが並び出してからも人はどんどん増えていて、こんなに朝早くから並ぶなんて、みんなホントにボイメンが好きなんだなぁ、と、自分のことは置いといて、しみじみ思います。ちょっと感動します。
と、朝、ここまで書いて下書き保存して、
いま。ホテルの部屋で、これを書いています。
ごめんね、いまはなんだかフワフワして書けない。文章にならない。
楽しかった。すごく楽しかったし、楽しいと思えることが嬉しかった。いっぱい泣きました。いろいろ思うこともありました。
声は、いま、ちょっと枯れています。
みんなに会えたのも嬉しかった。新しい出会いも嬉しかった。会ってくれてありがとう。繋がってくれてありがとう。
明日、もう一日名古屋を満喫してから帰ります。
帰ったら、なにか書けるかな。
このブログも、今後どうしようかな。