りつなるるの雑記

ボイメンナゴヤドーム応援チャレンジとして、当時ボイメンに出逢って1年ちょっとの大人が、期間限定で"ボイメンが好き"をただ書き散らかしていたブログです。今後は気まぐれ更新予定。

8人で無限大

あの夏、10人の帆上げMVに声を上げて号泣した日からもう4年。
いつの間にかずいぶん遠くまで来ていたんだなぁと思う。




私にとって帆上げは個人的な思い入れのある特別な曲のひとつで。
配信で観ていた先週のボイともフェスのライブ、まさるくんのMCに

(あ…帆上げやるんだ…もう今ここで8人て宣言しちゃうんだ…)

と思って歌い出し前から泣いた。

つっちー脱退のお知らせから2日。早過ぎる。
メンバーは前を向いているから心配するなと言いたいのかもしれない、でもファンに前を向けと言うにはあまりに早過ぎる。

嫌だ!って想いと、頑張れ!って想いと、なんだかもう、ぐちゃぐちゃ複雑で。

それでも彼らが宣言するなら聞かなくちゃ、と、泣きながら画面を観ていた。
「8人!」と言われた時には思わず「あぁぁ…」と声が漏れてしまったけど、彼らの気迫から目が離せなかった。

心配するな、前を向け、じゃない。誰もつらくないはずがない。
「無理はしてない」と笑う彼らも、確かにそこでは無理をしていた訳ではないかもしれないけれど、必死だった。そう見えた。




私が好きになったのは10人のボイメンだった。
その事実は変わらない。
だから今でもあの夏にあの船に乗っていたのは10人だったな、と思うことはある。

でも9人になり、8人になった今のボイメンに10人と言い続けて欲しいとは、今の私は思わない。

私の中でもやっぱりボイメンは9人になり8人になった。

歌詞やセリフは変えなくてもいいじゃん、と思う人もいるだろうけど、8人でも10人と言い続けることを求める方が残酷だと私は思う。
ただ、私はそう思うってだけで考えることは人それぞれだから他の誰かの意見を否定する意図はないよ。


とは言え私も勿論その都度すんなり受け容れて簡単に前を向いた訳じゃない。

これからも時々は振り返るだろうし、折に触れてはうじうじするだろう。
見たかった景色がもう見られないことに寂しくなることもきっとある。
まだ泣くこともあるかもしれない。


けれど彼らが

「俺たちは8人で無限大!」

と宣言するのは私がその宣言を受け容れるよりはるかにしんどいことだったろうということは想像に難くない。

それを思えば、彼らの宣言を受け取るだけの私には何も言えない。



「自分の人生を生きたい」とそれぞれのタイミングで船を下りることを選んだ(選ばざるを得なかった、なのかもしれないけど)ふたりもそれぞれの覚悟で出ていくと決めたんだろうし、その選択を認めて送り出した8人もその都度覚悟を決めたはずだ。
船に乗り続けるのも下りるのも、そのどちらにも覚悟が要るし、痛みを伴わない決断なんてない。


グループなんて、仲良しこよしだけで10年もやってなんかいられない。
だって彼らは友達じゃない。同じグループで険しい世界を進む一蓮托生の運命共同体でもあるし、同時にいちばんのライバル同士とも言えるだろう。
ファンには分からないことも色々あるだろう。
そもそも好きで一緒になった訳じゃないし、合う合わないだってあったと思う。
嫌な話だけどグループ内の格差だって今も確かにある。

それでも彼らが簡単にその手を離したとは思えない。
誰かがグループを離れるということは自らの手足をもがれる程の苦痛に違いない。
それを飲み込んでも進むって言ってる、そこに覚悟がないはずがない。



いなかったことにはしないで欲しいと思うけど、残ったメンバーが辞めていった元メンバーの名前を出すことと出さないこと、どちらがいいのか私には分からない。
彼らが生きる世界のルールもあるだろう。

名前を出すことが救いになることもあれば重荷になることもあるかもしれないよね。

離れていったふたりにはふたりの「これから」がある。
それぞれ状況も環境も掲げた「これから」も違うから、同じ対応をして欲しいとも思わない。
ふたりにはふたりそれぞれの思う道を歩んで行って欲しい。
(実際ひとりは既にそうやって先に進んでいるように思うし、彼自身からはグループに関する発言は脱退以降一切されていないのでは、と思う。すべての情報を追い掛けて見ている訳ではないから私が知らないだけかもしれないけど。)

その道に幸多からんことを祈っている。

そしていつか彼らが皆晴れやかな笑顔で再会する未来があったらいいなと思う。




私は勝手に、夢を叶えようとがむしゃらに進む彼らの生き様から勇気をもらっている。
その姿は、時に前進と言うより迷走しているようにしか見えないことも、それ故もどかしいことも多々あるけれど、それでもそのがむしゃらさ、熱さ、仲間への想い、ひとつひとつの努力に勇気をもらっている。

けれどそれは、あくまでも「勝手に」。

彼らの人生は彼らのもので、彼らの夢は彼らのものだ。

応援はする。したいから。
でも、彼らの夢が叶うことを自分の夢にしてその肩に乗せたり、私の思い描く彼らの理想形を重ねて期待を押し付けたりすることは、私はしたくないと思っている。

彼らが、その夢を叶えようと燃やしている炎を見させてもらえているだけ。それを見させてもらいながらファンとして少しだけ並走しているだけだ。
ラソンや駅伝の沿道で声援を送っている観客と似たようなものだ、という比喩表現を見かけたことがあるが、本当にその通りだと思う。

テレビのこちら側で応援していたいの。
出来れば時々は直接会いに行けたらいいな、とは思うけど。


応援はチカラになる。それは本当。
だけど、どんなに応援しても私は当事者ではない。
その喜怒哀楽のカケラを分かち合うことは出来るけれど、そして彼らはファンとの距離が近いから誤解してしまいそうになるけれど、明らかに、立っているステージは違うのだ。
私はそう思う。





…と、ここまで書いておいて今更なんだけど、あくまでもこれは私が今の時点で思うことだし、それは私の勝手な思い込みだし、ここはそもそも私の個人的な書き散らしの場だし、

誰かの意見を否定しようとするものでも誰かを傷付けようとするものでもないです。ましてや誰かを救おうとするものでもない。そんな大それたことは考えてないです。

私の考えも変わることはあるかもしれない。
結局のところ辞めたのが推しじゃないから言えるんだと言われてしまえばきっとそうなんだろうとも思う。

薄情だよね。ごめんね。


残念なことに、そもそも現場参戦もさほど多くない私はつっちーの特典会等に行ったこともなくて、個人的に伝えられる思い出がない。
グループの中にいる彼からゆったりした受容性のようなものを感じてはいたし、あの歌声は好きだったけれど。

あ、いちど渋谷マルイでのミニライブでハイタッチしたことがあったなー。回ってきてくれて、ちゃんとひとりひとりにゆっくり優しくハイタッチしてくれてたのが印象的だった。

優しい人だったんだろうと思う。とても優しくて、自分の深いところにある本当の思いよりも仲間の意見や気持ちが当たり前に優先されてたんだろうなって。
そうしているうちに自分でも分からなくなってしまったのかもしれないな、って。

今更だけど。想像に過ぎないけど。
彼が自分の色を取り戻せていたらいいな。





今はまだ、今の現実を受け容れていくことに精一杯だけど、私はたとえば今後もし推しが違う夢を描いてその選択をする日が来たとしても、感謝とともに、彼の夢よ叶えと願いたい。幸せであれと祈りたい。

まぁ、泣くだろうけどね。そうでありたい。

彼らの人生は彼らのものだ。彼らの夢は彼らのものだ。ほんの少しの奇跡の重なりで世界が重なった今だから、その刹那の輝きを応援したいの。そう思ってるのは本当だし、その考えはたぶん変わらない。
だって私の人生は私のもので、誰かの夢を叶えるためのものではないと思うから。それなのに他の誰かに夢を肩代わりさせるなんて出来ないし、したくない。

夢なんて言うと笑う人もいるけど。





あの夏、10人の帆上げMVに声を上げて号泣した日からもう4年。
ずいぶん遠くまで来たけれど、相変わらず「東西南北どっちに行ってもあっちもこっちも水平線」な日々を過ごしている。

私も。たぶん、彼らも。

彼ら、今はニューチャレンジャーでも「東西南北 無限の旅!」って歌ってるしね。
てゆーかホントに彼ら東西南北行きがちよね。ヤマダン(東西南北 WE GO!)も、進化理論(南から北 古今東西)も、だもん。
なんだろう、作詞家さん方、彼らを東西南北あちこち走り回らせたいのかしらね。
私は走り回らせたいよ。今は何かと難しい状況だけど、自由に走り回れる世界に早くなって欲しいね。





いま、彼らの船は8人で無限大。
ずっと変わらないものなんてないから、この先もまた、その形を変える時が来るかもしれない。私の、彼らへの気持ちが変わることもあるかもしれない。
それでも今は、覚悟を持って帆を上げて進む彼らを応援していたいと思う。好きだから。











追伸。
ボイメンの決まらない王子としての最後のブログが決まりすぎていてめちゃくちゃかっこよかったね。戻って来て欲しいと思っていたし戻って来てくれると信じて待っていたけど、あのブログを読んで、あぁ、最後にこれが書けたんだね、良かったね、と思いました。
つっちー、ありがとう。あなたがあなたらしく、健やかで、幸せで、恐れから自由でありますように。